崩壊シリーズ〜「派」果たして関西人でも笑えたのか?感想

”崩壊シリーズ”という芝居があることを最近知った。
このシリーズは2016年4月が初演で今回の「派」で3回目となる。私は演劇が大好きだけど、近年は知ってる劇団、脚本家、演出家、俳優の舞台をぐるぐると観ていただけで、昔のように鼻を効かせて新しく面白い演劇をキャッチする能力がすっかり衰えている。だから少し遅かったけど、知る機会を得て新しいカンパニーの舞台を観ることで、少し演劇リテラシーがアップした気分でいる。
でも一つ不安要素が。すっかり新しいものに飛びつかなくなった私は、最近は好みが固定しつつある。東京色が強いバラエティが苦手なのだ。
本作の作・演出はバナナマンや、東京03のコントや人気バラエティの構成作家として活躍するオークラ氏。関西人である私が、東京の一流コント師が手がける演劇を観て、笑えたのか?
今回はそんな崩壊シリーズ「派」を観劇してきた感想。

観劇する前のイメージ

キャストで知っていたのは山崎樹範、梶原善、大水洋介のみ。どんな舞台なのか?を知るための根幹である作・演出は、前述のお笑い芸人出身でもある構成作家オークラ氏。
もう20年近く前、わざわざ関西から下北沢の本多劇場にラーメンズ目当てにコントライブに行ったことがある。その時バナナマンを初めて観て、東京のお笑いは面白いだけでなく、シュールな要素もあってオシャレだと強く感銘を受けたのを覚えている。
崩壊シリーズはそんな流派から演劇に昇華した舞台だろうと勝手なイメージを持っていた。
しかし、今の私の笑いに対するブームは一周回って、出身地関西のコテコテでありながら、その都度突っ込む瞬発力のある笑いに戻ってしまっている。だから綿密に計算されたシュールな笑いを笑えるか?と少し消極的な気分であったのも事実。
果たして崩壊シリーズ「派」をどれだけ笑え楽しめたのか・・・

あらすじ

劇団「荻窪遊々演劇社」は、公演をやっても閑古鳥が鳴き運営に行き詰まり、解散の声がで初めていた。そんな状況を立て直そうと新進気鋭の劇作家を迎え劇団再起に奮闘しようとする座長。しかし舞台セットも音響もボロボロの状態。劇団員の士気も低下したままで本番当日となり、座長は今回の舞台が劇団員もお客さんも満足するものでなければ解散すると決意する。そして幕が開き・・・

笑えたのか?感想

前半戦プロローグ。人物相関図的に登場人物たちがそれぞれの個性を出しながら、エピソードを回し始める。その度にクスクスと方々でで笑が起きる。一緒に観劇した友人は舞台鑑賞に不慣れな関東出身者。関東、関西で普段からお笑いのツボに違いを感じながらも気があう友人だ。そんな友人が笑いを堪えている。私が今のところ笑えずに、序章として様子を伺っていたからかもしれない。我ながらイヤな観客だ。そして舞台は劇中劇として、舞台の幕が開く。

舞台は序盤からシリーズの見せ場でもある”崩壊”が所々で起き始める。
劇中劇が進行する中で、俳優陣が演じ続けながら崩壊・修正を繰り返し芝居が展開していく。そのドタバタな様子と、たまにポツリと発する心の吐露が笑いを誘う。
会場の観客も徐々に温まリ、クスクスがワハハと笑い声に変わってきたころ、隣の友人も観客と一緒に笑い出した。良かった。私に影響されて心から楽しめなかったらと心配であったからホッとした。

そして、”崩壊”、また”形成”されを繰り返され、団員たちが抱える色んな出来事が同時に明されながらストーリーが展開。会場もそのドタバタな空気に取り込まれ、舞台は”崩壊”するけど演者と観客の一体感はどんどん”形成”されていく。

私は笑えたか?というと、座長(山崎樹範)の吐露でクスリと笑う程度で、大笑いはなかった。その理由が笑いより脚本への関心が優ったからだ。
舞台のメインのセットである小道具が、うまくストーリに絡んでくる脚本は見事だった。そして山崎樹範の淀みのない芝居は圧巻。座長として芝居を続けようと舞台を駆け回る姿は、三谷幸喜の名作舞台「オケピ!」の白井晃を思い出した。
大笑いまでに至らなかった点としてもう一つ、やや冷めた目で見てしまったアイドルキャラ頼みが立ち過ぎる設定。それが学生演劇風で稚拙な印象を持ってしまったからだ。しかしこれはあくまでも好みの問題なのか。そこが楽しめたという観客もたくさんいるだろう。

まとめ

総じて楽しめた舞台。舞台鑑賞に不慣れな友人が満足そうにしていたからそれが何よりだった。
欲を言うと、もう少しヒューマンドラマ性が欲しかった。ホロっと感動するような所と、ドタバタとが相まった緩急からもう少し心が動いたのになと思う。

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